Georgia - The other place
グルジア異界の大地

手つかずの自然が残る場所でスキーをしたいのならば、グルジアに行くことをおすすめする。

「グルジアでスキーなんてできるのだろうか?」というのが、実際に現地に赴く前の私の疑問だった。あの場所に雪が積もっている光景を想像すると頭が混乱してきた。私は、ゆったりとした口調とコカ・コーラが生まれた温暖な州であることで知られるアメリカ南部のジョージア州とグルジアを混同させていた。同じスペルと発音だが、グルジアはれっきとした国家である。私の頭はまだ混乱していた。

1週間後、スキーブーツを履いてグルジアの凍った尾根に臨んだとき、自分の無知さ加減にあきれてしまった。眼下に広がる尾根と山頂に挟まれ、パウダースノーがこんもりと盛り上がったこの地は、まるで私の愛するスポーツを心行くまで楽しむためにつくられた場所のように思えた。グルジアでは、本当にスキーが楽しめる。ソ連崩壊後、1991年に独立国となったグルジアは、南部はトルコの国境と接しており、東部はアルメニア、アゼルバイジャンの国境と接している。だが、我々が関心を惹かれた場所は、北部のロシア国境と接している場所だった。ここは、黒海とカスピ海の間に1,100kmの長さにわたって望むことのできるヨーロッパ最高峰の山岳、コーカサス山脈がある場所である。

初日に高地での頭痛と時差ボケに悩まされた私は、グダウリと呼ばれるグルジアのスキーリゾートで最終リフトから降りた。アスピリンを求めて小さなスキーパトロール施設に入ると、何人もの雪焼けした男たちの視線が、立ちこめる煙草の煙を通して私に刺さった。ここは自分にとって場違いな場所だと思ったが、年老いた巡査が煙のなかから現れた。緑色のジュースのなかに手を入れると、ピクルスらしきものを取り出した。もう片方の手には、透明のどろっとした液体が入ったショットグラスが握られている。「これを飲みなよ。治るから」と言った男のアクセントは、冷戦時代につくられたジェームズ・ボンドシリーズの悪役のようだった。部分的には不愉快に響くアクセントだが、好奇心をそそられる口調ではあった。私は年季の入ったトラベラーの流儀に従い、ディルが入ったアルコール飲料を飲み干した。すると、どうだろう、5分後にはスキーを楽しめるようになり、頭痛も消えていた。私のグルジアについての認識は以下の2点だ。

1) 私はこの国が気に入っている。
2) 絶対にこの地で足を折ってはならない。

グダウリは、グルジアの首都トビリシから車で2〜3時間北上した場所にある、グルジア軍道沿いに広がるスキーリゾートだ。10kmにもわたるつづら折りの道が広がるこの街は、まさに観光地で、何軒ものホテルが建ち並び、標高3,300mのMt Sadzeleの山頂に登るリフトが7つある、東欧からのツーリストたちに人気のスポットだ。手入れの行き届いた丸太道が何マイルも続き、自由にスキーができる。リフトで移動中にすごいスピードでウォッカを飲み干す、ウクライナとロシアからの大勢の観光客が宿泊できる施設も充分にある。だが、我々はリフトに乗るためではなく、スキーをするためにグルジアにやってきたのだ。

グダウリからスロープを登った場所にある我々の宿、ハダハットからスキーを始めたときは、まだ暗かった。私の頭はインスタントコーヒーと早朝に行ったロボットのような体操のお陰で、ようやくのろのろと動き始めていた。1時間後、谷の向こう側の山頂に朝日が昇り始めた。コーカサス山脈は優しげで慎ましい佇まいだった。一夜にして雪が数センチも積もり、私とカナダ人の友人は遠方のコビ山道に向かって、膝の高さまで積もった道を、ぎこちない、走りの遅いサイクリストのような動きで進んでいった。山道までの最後のスロープは険しかった。頬を刺すような冷たい風が吹き、光が私の視界を妨げた。 私はこの地で最も美しい光景を眺めるために目を慣らした。北方は、標高5,033mのカズベキ山から下がっている氷河にピンクの光が美しく映えている。この巨大な火山の山頂は、グルジアで3番目に高い。アリマーニという架空の人物が神から炎を盗み、死ぬ運命から逃れられない人間への罰として、この山のスロープに繋げたというグルジアの伝説がある。彼はいまでもここにいるのだろうか。土地の美しさに目が眩み、身動きが取れなくなってしまうような呪われた場所が、この世には存在すると私は思う。

マウントビッダーラの頂に着いたのは、私のほうが後だった。背景は最高の景色だった。頂からは、少なくとも12カ所のスキーができそうな尾根が、まるで白いシーツに柔らかいシワが寄っているように広がっていた。この光景を眺めるためだけに、この山にやってくるスキーヤーもいるのではないだろうか。だが、いまは眺めるだけではなく、実際に滑ってみなくては。

私は純白のキャンバスの大地に降り立った。頂上から大きなアーチ状のフォルムで雪が崩れ落ちた。深くソフトな雪に時折視界を塞がれながら、1,000m下降した場所にあるグルジア軍道でひと息ついた。 スロープを見上げると、我々が滑ってきた跡がグルジア語の草書体のように見えた。ラダで年老いた男が我々を車に乗せ、グダウリへの帰り道のクロスパスまで送ってくれたときには、私はもう夢うつつな気分ではなかった。

男子修道院の宿泊施設で明るい色彩のスキーウェアとブーツに身を包んだ我々と、長く黒いローブを纏ったキリスト教正教徒の修道士がともに暖をとっている光景は、ファッション的にはなんともユニークなコントラストであった。ロミシ男子修道院までは、峡谷から3時間かけて移動した。グダウリの峡谷を越えた高所に佇むこの修道院は、標高2,200m の尾根の上にある。カズベッジ地方とロシアの助力を得てグルジアからの独立を争った政情不安定な地域である南オセチアに挟まれた、歴史ある建物だ。10世紀に建造され、尾根まで登る途中で息絶えてしまったセント・ジョージの雄牛の名前に因んでロミシと名づけられた。いまでは、奇跡を信じている信心深いグルジア人にとって非常に大切な場所である。

「どうやら、あなたは神の側で多くの時間を過ごされたようですな」、たわわな茶色の顎髭をたくわえた中年のニコレイ司祭が言った。赤ワインをすすりながら話す彼の目は笑っていた。山でのスキーを示唆しているのだろう。我々は、スピリチュアルなものをあらゆる角度から探し求めているという点では共通している。ただし、彼は十字架とバイブルを携えて、私はスキーを使ってだが。我々はグルジアの伝統に則り、感謝の言葉を述べながら杯を交わした。尾根で修道士と一緒に数時間過ごした後、彼らに別れを告げて谷までスキーで下っていった。

ランドクルーザーのタイヤを目にしたとき、我々は自分たちの間違いに気づいた。タイヤはすり減っていた。グダウリから西方に450kmほど離れた地点にあるグルジアの山岳地帯、スヴァネッチにある小さな村のウシュグリまでの道路に、夜通し降り続いた雪が一面に積もっていた。私の心配は2回目に車が動けなくなってしまったとき、怒りに変わった。我々が雇ったソーソーとかいう名の運転手は、後ろのタイヤにロープを結びつけて車を牽引するという無駄な試みをしていたからだ。私は叫んだ。「ソーソー、Uターンして、チェーンを付けろ!」。彼にとって、我々がウシュグリまで乗せていく最初の客だったことは間違いない。彼はいったい、どのようにしてトラックを手に入れたのだろう?その疑問は、彼の携帯電話が鳴り、画面に“ママ”という文字が表示されたのを見たときに氷解した。ソーソーの母親は彼を捜していた。私の信頼感は薄れていった。

ソーソーには、渋々ながら最後のチャンスを与えた。礼拝がさかんに行われ、奇跡が起こり得るこの地で、彼はなんとか4時間かけて我々をウシュグリまで運んでくれた。崩れ落ちる岩壁と険しいジグザク道をランドクルーザーで駆け抜けながら、ソーソーは徐々に自信をつけてきたようだった。メスティアを出発した際は少年だった彼が、ウシュグリで男に成長したと我々は冗談を言い合った。それでも私の心はかなり疲弊しており、この旅でのストレスはかなり大きかった。

標高2,400mの場所にあるウシュグリは、石でできた巨大な塔が村に点在していることで有名だ。UNESCOが世界遺産として指定しているこれらの塔は、かつてこの地が攻撃された際、村人が上まで登り、よそ者に向かって石を投げつけていたとのことだ。古代のラビリンスからゲストハウスにゆるゆると歩いていったとき、私はこの村の住人がこの伝統を忘れ去っていることを切に願っていた。我々は、グルジアの王位争奪戦に参加するような面持ちで後ずさりしながらゲストハウスに向かった。

ゲストハウスの門の右側の雪の上にどさっとスキーを下ろすと、我々はもう待ちきれず、町の上方のうねりのあるスロープからスキーを始めた。我々は2時間で、標高3,000m のグルジアで2番目に高い山頂に到着した。その岩肌が眼下の村人に向かって突き出しているグルジアで最も高い山岳、標高5,210mを誇るシャラの脇にそびえる山だ。ここからは、ウシュグリの石の塔はとても小さく見える。このとき、気持ちは落ち着いていて、人のいい宿主が我々を待っているゲストハウスでの食事のことばかりを考えていた。それから20分ほど雪と戯れながら、宿に向かってスキーで下っていった。我々はグルジアでのスキーを心行くまで堪能していた。明日も、また同じことを繰り返して楽しむことにしよう。

Norrøna Magazine